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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第2節 想われ心 [15]




「でも、蔦と田代を疑ってるって事には、変わりないんだろう?」
 冷ややかな声が美鶴の心を抉った。
「蔦はもう何とも思ってねぇみてぇなのに、涼木の奴、まだ疑ってんの?」
 鼻で嗤う。
「アイツって、意外と(うたぐ)り深いんだな」
「だって好きな人の過去に誰かが居ればっ」
 瞬間、霞流の顔が脳裏に浮かんだ。と、同時に、誰かの顔もそこに重なった。
 美鶴は、思わず言葉を失った。
 そういう事なのか?
「どうした?」
 突然黙り込み、瞠目したまま微かに唇を震わせる美鶴。聡は眉を潜め、瑠駆真が訝しそうに覗き込む。
「美鶴?」
「どした?」
「何でもない」
 なんとか、そう答える。
「何でもない事はないだろう?」
 食い下がる相手に、だが美鶴は答えない。
 だって、説明ができない。自分でだって、まだ理解ができないのだから。
 自分がこれほどまでに必死にツバサを庇い、聡を全力で説得しようとするのは、自分にも、ツバサの気持ちがわかるから?
「美鶴? おい、美鶴、何とか言えよ」
「お前だって、わかるだろう?」
 呆けたような声を絞り出す。
「お前にだって、そうだろう?」
「は?」
「お前だって、私が他の男と一緒に居たら、疑うだろう?」
 矛盾しているようで、気持ちの良いものではなかった。聡の気持ちは受け取れないと言いながら、こんなところで彼の恋心を都合良く利用しているような気がして、心苦しかった。
 彼の気持ちは受け取れないなどと言っている自分には、何も言う権利などないのかもしれない。
 でも、わかってもらいたい。
「疑うだろう?」
 ゆっくりと見上げる。
「それと同じだ」
「でも俺はアイツみたいにウジウジ疑ったりなんてしない。なんだ、涼木の奴、サバサバしてるように見えて、意外に田代と同じなんだな。だから気でも合うのか?」
「そんなふうに言うのはやめろっ」
 聡の言葉の一つ一つが、美鶴の心に突き刺さる。
「やめろ、みんな同じなんだ」
「違うな。俺はアイツとは違う」
 いつもの調子を取り戻してきた聡が、美鶴の両手を払って言う。
「俺は違う」
「お前にはわからないんだな」
 美鶴は視線を落した。
「お前には、誰の気持ちも、わからないんだな」
「なっ」
 勢いよく突き飛ばされたような気がした。でなければ、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃。
「どういう意味だよ?」
「ツバサは必死に自分を変えようとしている。努力をしている。それがお前にはわからないのか?」
「わからない」
「ならお前には、誰の気持ちもわからない。きっと私の事も」
「それって、どういう」
 問い詰めようとして、だがその先が言えなかった。言えないまま、美鶴の背後を凝視する。
 それに気付き、のろのろと美鶴も振り返った。そうして目を見張った。
「そういう事か」
 蔦康煕は脇に抱えていた鞄を持ち直す。
 小さくため息を吐いた。
「蔦」
 美鶴の呼びかけに、口元を緩ませる。
「ようやくわかった。サンキュー」
「あ、いや、今のは」
「お前のせいじゃない。俺が勝手に立ち聞きした」
「だから、あの」
「ツバサに口止めされていたのか? ったく、アイツは」
 言いながら、どこか表情は嬉しそう。
「アイツ、まだ田代さんとの事を気にしていたのか。仕方ねぇな」
「言いながらお前、嬉しそうだぞ」
「当たり前だ。嫉妬ってのは可愛いもんだからな。金本、お前にはわからないのか?」
「はい?」
「蔦、あの、ツバサは、その」
 ツバサのは、そんな可愛いものではない、と思うのだが。
 どう言えばいいのかわからずに口をパクパクさせる美鶴の前で、蔦は恥かしげもなく嬉しそうに笑う。
「自分で解決したいってのはわからないでもないが、ここまで来ると、ツバサ任せってワケにもいかねぇな」
「蔦、待て、何をする?」
「何を?」
 そこでふと考え、改めて美鶴と向い合う。
「大迫」
「へ?」
「アイツ、自己解決しようってんだろう?」
「えっと、あの」
「それって、兄貴の事と、関係あるのか?」
「あっと、それは」
「あるんだな」
 フッと、笑みが零れる。
「お前、嘘付くの下手だな」
 うっ、コイツにまでは言われたくなかった。
 無償に腹が立ち、みっともないとは思いながらも無言でそっぽを向く。その態度にククッと喉を鳴らす蔦。だがすぐに真顔になり、小首を傾げる。
「ツバサが動く時、俺に連絡くれよ」
「は?」
「俺も動く」
「動くって、あの」
「携帯の番号は金本が知ってる。教えてもらえ」
「あの」
「じゃあ、俺、塾あるから」
 一方的に告げ、背を向けて歩き出す。
「ちょっと待て、蔦」
 呼び声に振り返る。その表情に美鶴は足を止める。
「絶対だぞ」
 人差し指と中指を揃えて立て、ビッと一直線に向けてくる。
 力を込めた揺るぎの無い瞳。少し垂れた、ともすれば軽薄そうにも見えてしまう瞳が、力強く笑う。その瞳に映るのが誰なのかは、明白だ。
「絶対だからな」
 蔦は念を押し、再び背を向けて去っていった。
 美鶴は、追いかける事ができなかった。
 蔦は、やっぱり蔦だな。
 いつもこうだ。蔦は真っ直ぐで揺るぎが無い。無謀で無茶で、時にはとんでもない行動をする。でも彼は、他の誰をも見てはいない。
 ツバサ、お前って、本当に馬鹿だな。
 心内で呟く美鶴の肩に、大きな掌がズッシリと圧し掛かる。
「兄貴って、何だ?」
「あ」
 思わず振り返る。聡と目が合い、一瞬躊躇う。
「なんでもない」
「いい加減、その言葉はやめようぜ」







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